代表のブログ
TEL:0422-27-2754
SDIトータルサポート ホーム > 代表のブログ > 「知覧特攻平和会館 / 神風特別攻撃隊 」
投稿日:2025年08月28日
先日の、鹿児島県での 「高額〝結婚詐欺〟即日解決 / 交渉同席・話し合い立ち会い 」 は、仕事で二日間 予備日(何もなければ観光)で一日の合計三日間見ていたのですが、初日に呆気なく終わってしまったので、二日間 鹿児島を観光して来ました。 今回は、その中でも特に印象に残った「知覧特攻平和会館」のお話をさせていただきます。 パリオリンピック帰国後の会見で、卓球の早田ひな選手が 「(知覧)特攻資料館に行きたい」 と語った発言に、内政干渉が大好きで 相手を責める事で自らの優位性を保とうとする事しか能のない中国や韓国から 非難が殺到する事態が起きたのですが、それもある程度予測した上での発言でしょうから、この時から早田ひな選手が好きになりました。 鹿児島を観光するにあたって、まず最初に 日本男児の端くれとして必ず行かなければならないと思っていた その 「知覧特攻平和会館」 に行って来たのですが、この戦後80年の節目に行けた事は とてもよかったと思っています。 特攻作戦は、知覧基地をはじめとした宮崎県などの九州各地や 当時日本が統治していた台湾などから出撃していますが、全特攻戦死者1, 036名のうち439名と、最も多い半数近くが この知覧基地から出撃しています。 特攻作戦(神風特攻隊)には賛否両論(ほぼ否定派?)あると思いますが、特攻隊員には何一つ非はありません。 誰だって生き続けたいのに、ほとんど全ての特攻隊員が自ら志願をして、それが正しい事だと信じて それこそが日本男児の誉だと思って、お国のために自らの命を捧げたのです。 これによってアメリカが「日本人はヤバい」と思った事は間違いないので、もしこれがなかったら その後の日本に対する〝占領政策〟が大きく変わっていた可能性があると思います。 ※その部分が 天皇陛下を◯さなかった最大の理由だと思いますが、それがなかったら もしかしたらアメリカなどの植民地や属国、アメリカの準州や自治領という形になっていたかもしれません。 もし あの戦争に勝っていたら、多くの人が 今も〝誇り〟として語り継いでいる事と思いますが、あの戦争の本質や 経緯の詳細を知らないで 「あの戦争は間違っていた」 と言って、臭いものに蓋をするのは簡単な事だと思います。 今の日本の平和があるのは、彼らを含めた310万人の戦死者のおかげであるという事だけは、誰が何と言おうが 何年経とうが 未来永劫忘れてはならない とても重要な事だと思います。 ちょっと、この「知覧特攻平和会館」で感じた事は 筆舌には尽くし難く、彼らの勇敢さを褒め称える言葉 この作戦の悲惨さを表す言葉は 今さら言うまでもないのですが、別の視点で私が感銘を受けた事として 「特攻隊員は皆 かなりの若年だったのに(最年少は17歳)非常に語彙が豊かで とても字が上手い」 というものがありました。
この当時の日本は それだけ素晴らしい教育がなされていたという事だと思いますが、先日 テレビで某有名俳優が 「学校の先生が生徒を叱る事ができないだとか、駆けっこで皆で同時にゴールするだとか、そんな教育をしている今後の日本が 心配で仕方がない」 と言っていましたが、私も全くの同感です。 だからこそ 軟弱な人間や精神的に弱い(病気になる)人間が増えているのだと思いますが、私はこの俳優さんの事も好きになりました。 今の日本人を見ていて 何よりも惜しいと思うのは、特攻隊員の平均年齢は21.6歳と若く、ほとんどの隊員にまだ子供がいなかったため、彼らの〝直系の血〟が残されていない事だと思います。 「参照:新編 知覧特別攻撃隊」
先日の、鹿児島県での
「高額〝結婚詐欺〟即日解決 / 交渉同席・話し合い立ち会い 」
は、仕事で二日間 予備日(何もなければ観光)で一日の合計三日間見ていたのですが、初日に呆気なく終わってしまったので、二日間 鹿児島を観光して来ました。
今回は、その中でも特に印象に残った「知覧特攻平和会館」のお話をさせていただきます。
パリオリンピック帰国後の会見で、卓球の早田ひな選手が
「(知覧)特攻資料館に行きたい」
と語った発言に、内政干渉が大好きで 相手を責める事で自らの優位性を保とうとする事しか能のない中国や韓国から 非難が殺到する事態が起きたのですが、それもある程度予測した上での発言でしょうから、この時から早田ひな選手が好きになりました。
鹿児島を観光するにあたって、まず最初に 日本男児の端くれとして必ず行かなければならないと思っていた その
「知覧特攻平和会館」
に行って来たのですが、この戦後80年の節目に行けた事は とてもよかったと思っています。
特攻作戦は、知覧基地をはじめとした宮崎県などの九州各地や 当時日本が統治していた台湾などから出撃していますが、全特攻戦死者1, 036名のうち439名と、最も多い半数近くが この知覧基地から出撃しています。
特攻作戦(神風特攻隊)には賛否両論(ほぼ否定派?)あると思いますが、特攻隊員には何一つ非はありません。
誰だって生き続けたいのに、ほとんど全ての特攻隊員が自ら志願をして、それが正しい事だと信じて それこそが日本男児の誉だと思って、お国のために自らの命を捧げたのです。
これによってアメリカが「日本人はヤバい」と思った事は間違いないので、もしこれがなかったら その後の日本に対する〝占領政策〟が大きく変わっていた可能性があると思います。
※その部分が 天皇陛下を◯さなかった最大の理由だと思いますが、それがなかったら もしかしたらアメリカなどの植民地や属国、アメリカの準州や自治領という形になっていたかもしれません。
もし あの戦争に勝っていたら、多くの人が 今も〝誇り〟として語り継いでいる事と思いますが、あの戦争の本質や 経緯の詳細を知らないで
「あの戦争は間違っていた」
と言って、臭いものに蓋をするのは簡単な事だと思います。
今の日本の平和があるのは、彼らを含めた310万人の戦死者のおかげであるという事だけは、誰が何と言おうが 何年経とうが 未来永劫忘れてはならない とても重要な事だと思います。
ちょっと、この「知覧特攻平和会館」で感じた事は 筆舌には尽くし難く、彼らの勇敢さを褒め称える言葉 この作戦の悲惨さを表す言葉は 今さら言うまでもないのですが、別の視点で私が感銘を受けた事として
「特攻隊員は皆 かなりの若年だったのに(最年少は17歳)非常に語彙が豊かで とても字が上手い」
というものがありました。
この当時の日本は それだけ素晴らしい教育がなされていたという事だと思いますが、先日 テレビで某有名俳優が
「学校の先生が生徒を叱る事ができないだとか、駆けっこで皆で同時にゴールするだとか、そんな教育をしている今後の日本が 心配で仕方がない」
と言っていましたが、私も全くの同感です。
だからこそ 軟弱な人間や精神的に弱い(病気になる)人間が増えているのだと思いますが、私はこの俳優さんの事も好きになりました。
今の日本人を見ていて 何よりも惜しいと思うのは、特攻隊員の平均年齢は21.6歳と若く、ほとんどの隊員にまだ子供がいなかったため、彼らの〝直系の血〟が残されていない事だと思います。
「参照:新編 知覧特別攻撃隊」