代表のブログ
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SDIトータルサポート ホーム > 代表のブログ > 「追悼 また清瀬の友人が逝く」
投稿日:2024年12月10日
一昨日 清瀬の同級生の友人が、ガンとの闘病末亡くなりました。 完全な家族葬にするという事でしたので、昨夜 彼の実家にお線香をあげに行って来ました。 今年は 後半の6か月間だけで、愛犬のシンバ、女房の母親、親友の彼と、立て続けに三つの大切な命を亡くした事になります。 ここからの部分は、あくまでも30年以上前の話となります。 彼とは21歳の時、私の地元の三鷹の駅前で偶然出食わして、私の連れと取っ組み合いのケンカになった事がキッカケで友になりました。 すぐにお巡りさんが駆けつけたので 一旦散り散りになったのですが、私が 「あいつら必ずあそこに戻って来るから、あの場所で待っていよう」 と言って待っていると、案の定 手に包丁をグルグル巻きにしてやって来て 「お前ら地元なら、誰にも邪魔されずにケンカできるところに連れて行け。 俺らも3人だから、お前らも3人で来い。」 と言うので、私が 「それは結構だが、その手に持っているものは何だ?? お前らに本当に道具を使う覚悟があるのなら、こっちも用意するぞ。」 と言うと、相手が 「分かった。じゃ素手で勝負しよう。」 と言うので、夜は全く人気のない調布の飛行場に連れて行き、野っ原の中で一人づつ順番にタイマンを張るという 中学生のようなケンカをしました。 (もちろん私は 相手のボスとやりました)
ケンカが終わった後、隣にある大沢グラウンドという野球場で、お互いにやたらとスッキリしながら 変な友情のような感情が芽生えつつ、グラウンドの流し場で 笑いながら泥だらけの血だらけを洗いました。 その時に初めて「俺らは〝現役〟だ」という事を聞かされたのですが、ケンカになる前に速攻で〝看板〟を出すような チンケな野朗がほとんどであったのに、その男らしさに感動をして それからとても仲良くなりました。 (当時 新宿で飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大していたところですが、もうとっくに組織は脱会して、真面目に働いています) 彼はグイグイ前に出るタイプではなく どちらかと言えば大人しい 口数の少ない人物なのですが、鋼のような強い意志を持っていて、自らの信念を頑として貫く 本物の男でした。 彼は17、8歳の時のバイクの事故で、片腕を肩の付け根から無くしています。 それなのに〝人に助けてもらう〟事の大嫌いな彼は、何でも無理をして自分一人でやるので、仕事であるトラック運転手をやりながらも 何度も大怪我をしています。 そればかりか、今も片手で普通に中型のネイキッドバイクでツーリングに行ったり、ミッションの旧車(ヨンメリ)を 自力でオートマエンジンに載せ替えて乗っていたりしました。
(ヨンメリ、GT380、FX400×2台は現在も所有)
※私も 車やバイクの運転には相当自信がありますが、片腕で中型のネイキッドバイク(しかも その中でもトップクラスに重たい「FX400」)に乗るのは絶対的に無理ですし、普通は 押して取り回す事すらもできないと思います。
私の家で飲み会をやった時などは 「俺は お姉ちゃんのいる店でなければ酒は飲まない」 と言いながら 一人で牛乳を飲んでいるような偏屈さもあり、また 彼の携帯電話番号を三つほど知っていますが、どれも冗談のようないい番号だったりするような 強い〝拘り〟を持っている面もありました。 流行りのものは何でも〝一番最初に持っている〟事の好きだった彼は、当時 日進月歩だった携帯電話は常に一番最初に 超品薄の最新機種を持っていましたし、当時 壊滅的に入手困難であった「たまごっち」を2つも わざわざスーツの胸ポケットからぶら下げて、六本木のお姉さん方にキャーキャー言われて喜んでいるような お茶目な一面もありました。
酒席などで 周りの人たちが腫れ物に触るようにその話題を避けている中で、私が敢えて 「片腕のくせに」 イジりをすると、満面の笑みを浮かべて嬉しそうにしてくれたものです。
晩年は「六本木より面白い」という事で、毎週末仕事が終わった後 飛行機に乗ってススキノに飲みに行っていましたが、私も何度か一緒に行った事のある 彼の行きつけの六本木のクラブでは、同じく常連だった元横綱の曙さんに「マックス」というアダ名をつけらるほど 仲がよかったようです。 (映画「マッドマックス」の主人公が片腕だったため) 去年亡くなった「サノちゃん」と同様に、清瀬で最も男らしく、最も仲のよかった友人を また失ってしまいました。 その人物の価値は、その人が死んだ後に分かると言いますが、本当に惜しい人間を亡くしてしまったと思います。 背中の痛みが酷いという事で病院へ行き 癌が発覚したのですが、添付画像は3ヶ月ほど前に 肺から背骨に癌が転移して〝肺と背骨の間に鉄板を入れる〟手術をした後のもので、それで状況が好転してくれるかもしれないという淡い期待も 虚しいものとなってしまいました。 片腕なのに〝人からやってもらう〟事よりも〝人にやってやる〟事の方が圧倒的に多かった彼ですが、シャイで照れ屋な一面もあるので 人の力になるような事をサラッとやって知らん顔をしているような男でした、 1ヶ月ほど前にお見舞いに行った時 テレビを観る事だけが楽しみだと言っていたので、たまたま持っていた千円札4枚分(病院内では1万円札を両替できないと言われたので)の〝テレビカード〟を 自動販売機で買って渡したのですが、その時彼から初めて「ありがとう」という言葉を言われたような気がします。 その帰り際、何となく死期を悟っていた彼の手を握りながら 「絶対に元気になるんだぞ」 と言った時の、一生懸命その片方だけで生きてきた 彼の右手の温もりと、超意地っ張りの彼が 泣くのを我慢していた顔が脳裏に焼きついていて離れません… 植ちゃん、本当にお疲れ様でした。 どうか 安らかにお眠り下さい🙏 ※国の偉い人たちも普通に付き合いをしていた 大昔の事は否定はしませんが、現在弊社 並びに弊社代表の私は、反社 またはそれに類する人たちとの交流・関係性は一切ございません。
一昨日 清瀬の同級生の友人が、ガンとの闘病末亡くなりました。
完全な家族葬にするという事でしたので、昨夜 彼の実家にお線香をあげに行って来ました。
今年は 後半の6か月間だけで、愛犬のシンバ、女房の母親、親友の彼と、立て続けに三つの大切な命を亡くした事になります。
ここからの部分は、あくまでも30年以上前の話となります。
彼とは21歳の時、私の地元の三鷹の駅前で偶然出食わして、私の連れと取っ組み合いのケンカになった事がキッカケで友になりました。
すぐにお巡りさんが駆けつけたので 一旦散り散りになったのですが、私が
「あいつら必ずあそこに戻って来るから、あの場所で待っていよう」
と言って待っていると、案の定 手に包丁をグルグル巻きにしてやって来て
「お前ら地元なら、誰にも邪魔されずにケンカできるところに連れて行け。
俺らも3人だから、お前らも3人で来い。」
と言うので、私が
「それは結構だが、その手に持っているものは何だ??
お前らに本当に道具を使う覚悟があるのなら、こっちも用意するぞ。」
と言うと、相手が
「分かった。じゃ素手で勝負しよう。」
と言うので、夜は全く人気のない調布の飛行場に連れて行き、野っ原の中で一人づつ順番にタイマンを張るという 中学生のようなケンカをしました。
(もちろん私は 相手のボスとやりました)
ケンカが終わった後、隣にある大沢グラウンドという野球場で、お互いにやたらとスッキリしながら 変な友情のような感情が芽生えつつ、グラウンドの流し場で 笑いながら泥だらけの血だらけを洗いました。
その時に初めて「俺らは〝現役〟だ」という事を聞かされたのですが、ケンカになる前に速攻で〝看板〟を出すような チンケな野朗がほとんどであったのに、その男らしさに感動をして それからとても仲良くなりました。
(当時 新宿で飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大していたところですが、もうとっくに組織は脱会して、真面目に働いています)
彼はグイグイ前に出るタイプではなく どちらかと言えば大人しい 口数の少ない人物なのですが、鋼のような強い意志を持っていて、自らの信念を頑として貫く 本物の男でした。
彼は17、8歳の時のバイクの事故で、片腕を肩の付け根から無くしています。
それなのに〝人に助けてもらう〟事の大嫌いな彼は、何でも無理をして自分一人でやるので、仕事であるトラック運転手をやりながらも 何度も大怪我をしています。
そればかりか、今も片手で普通に中型のネイキッドバイクでツーリングに行ったり、ミッションの旧車(ヨンメリ)を 自力でオートマエンジンに載せ替えて乗っていたりしました。
(ヨンメリ、GT380、FX400×2台は現在も所有)
※私も 車やバイクの運転には相当自信がありますが、片腕で中型のネイキッドバイク(しかも その中でもトップクラスに重たい「FX400」)に乗るのは絶対的に無理ですし、普通は 押して取り回す事すらもできないと思います。
私の家で飲み会をやった時などは
「俺は お姉ちゃんのいる店でなければ酒は飲まない」
と言いながら 一人で牛乳を飲んでいるような偏屈さもあり、また 彼の携帯電話番号を三つほど知っていますが、どれも冗談のようないい番号だったりするような 強い〝拘り〟を持っている面もありました。
流行りのものは何でも〝一番最初に持っている〟事の好きだった彼は、当時 日進月歩だった携帯電話は常に一番最初に 超品薄の最新機種を持っていましたし、当時 壊滅的に入手困難であった「たまごっち」を2つも わざわざスーツの胸ポケットからぶら下げて、六本木のお姉さん方にキャーキャー言われて喜んでいるような お茶目な一面もありました。
酒席などで 周りの人たちが腫れ物に触るようにその話題を避けている中で、私が敢えて
「片腕のくせに」
イジりをすると、満面の笑みを浮かべて嬉しそうにしてくれたものです。
晩年は「六本木より面白い」という事で、毎週末仕事が終わった後 飛行機に乗ってススキノに飲みに行っていましたが、私も何度か一緒に行った事のある 彼の行きつけの六本木のクラブでは、同じく常連だった元横綱の曙さんに「マックス」というアダ名をつけらるほど 仲がよかったようです。
(映画「マッドマックス」の主人公が片腕だったため)
去年亡くなった「サノちゃん」と同様に、清瀬で最も男らしく、最も仲のよかった友人を また失ってしまいました。
その人物の価値は、その人が死んだ後に分かると言いますが、本当に惜しい人間を亡くしてしまったと思います。
背中の痛みが酷いという事で病院へ行き 癌が発覚したのですが、添付画像は3ヶ月ほど前に 肺から背骨に癌が転移して〝肺と背骨の間に鉄板を入れる〟手術をした後のもので、それで状況が好転してくれるかもしれないという淡い期待も 虚しいものとなってしまいました。
片腕なのに〝人からやってもらう〟事よりも〝人にやってやる〟事の方が圧倒的に多かった彼ですが、シャイで照れ屋な一面もあるので 人の力になるような事をサラッとやって知らん顔をしているような男でした、
1ヶ月ほど前にお見舞いに行った時 テレビを観る事だけが楽しみだと言っていたので、たまたま持っていた千円札4枚分(病院内では1万円札を両替できないと言われたので)の〝テレビカード〟を 自動販売機で買って渡したのですが、その時彼から初めて「ありがとう」という言葉を言われたような気がします。
その帰り際、何となく死期を悟っていた彼の手を握りながら
「絶対に元気になるんだぞ」
と言った時の、一生懸命その片方だけで生きてきた 彼の右手の温もりと、超意地っ張りの彼が 泣くのを我慢していた顔が脳裏に焼きついていて離れません…
植ちゃん、本当にお疲れ様でした。
どうか 安らかにお眠り下さい🙏
※国の偉い人たちも普通に付き合いをしていた 大昔の事は否定はしませんが、現在弊社 並びに弊社代表の私は、反社 またはそれに類する人たちとの交流・関係性は一切ございません。