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「〝看取り〟宣告 」

投稿日:2024年11月11日

「看取り」とは、無理な延命治療などは行わず、高齢者が自然に亡くなられるまでの過程を見守る事を指します。

元々は 介護をする上での世話や看病など、患者を介護する行為そのものを指す言葉でしたが、近年では
「残された時間を充実させる」
「人間の尊厳を残して亡くなる」
などの考えが重要視されるようになっている事から〝温かく最期を見守る事〟を指して「看取り」と言っているようです。

死が避けられない状況の人に対し、最期を迎えるその時まで 日常生活のケアをする一方で、鼻から管を通して点滴を打つような医療行為や 治療による無理な〝延命〟は「看取り」では行われません。

要するに「看取り」とは
〝延命はせず、本人が楽な形 幸せな形で死なせてあげる〟
事なのだと思います。


私の父親は〝ガン宣告〟からたったのニ週間で 66歳の若さで亡くなりましたし、母親は 繰り返し長時間に渡る大手術を受けながらも 比較的短い闘病期間で、あっという間に72歳で亡くなりました。

現在 高齢化が進むにつれ「介護」にまつわる様々な問題が取り沙汰されておりますが、その中でも「介護疲れ」のような言葉を聞く度に、正直心の中で
「自分の親なんだから当たり前だろ。
介護できるだけでも幸せに思え。」
と思っていました。

しかし 義母(女房の母親)の闘病生活はもう5年以上になり、義父もつい最近まで入院していたりしたので、現在 介護がとても大変である事を痛感しています。


私の父親が息を引き取る瞬間に、とても控え目な義母が大声で
「お父さん!お父さん!せっかく孫が生まれたばかりなのに、ここで死んだらダメでしょ!!」
と言って、父親に詰め寄って 泣いてくれた姿を鮮明に覚えています。

先日 その義母が、病院から
「〝看取り〟に入る段階である」
という宣告を受けたのですが、ある程度覚悟していた事とはいえ かなりのショックを受けています。

元々かなり進行した「認知症」もあったため

(4、5年前の初期段階で、私を〝孫〟と間違えていました)

見舞いに行っても誰も認識できない(と思っていた)時期が長かったのですが、先日その宣告を受けて女房が見舞いに行ったところ、何年かぶりに言葉に反応して手を強く握り返してくれたそうです。

本人が認識していないと思っていても、結構な頻度で見舞いには行っていたのですが、そのような宣告を受けた上に 認識している事が分かったので(その時たまたま調子がよかったのかもしれませんが)現在女房は10km近く離れているその病院に 毎日毎日通っています。

あと10日ほどで「具体的な看取り方法」を決める事になるのですが〝本人が一番幸せであろう看取り方〟を選択した場合、二、三日で最期の日を迎える事になる可能性もあります。

私の父が亡くなったのが11月で 母が亡くなったのが12月でしたが、また とても悲しい年末になる覚悟は しておかなければならないかもしれません。


※この状況でフッと、随分昔に観た 小泉今日子さん主演の
「病は気から 病院へ行こう2」
という映画を思い出しました。
今で言う〝終活〟を とても明るくコミカルに描いたもので、色々と考えさせられる とてもいい映画だと思います。
30年以上前のものなので、今観るとツッコミどころは満載ですが、現在YouTubeで観れるようですので
(1、2年前に観ようと思った時はありませんでした)
もしよかったら観てみて下さい。

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