代表のブログ
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投稿日:2018年03月23日
最長編になりますが、特に男の子のお子様がいらっしゃる方には是非読んでいただきたく思います。
ちょうど二年ほど前の話です。
長男坊は中学生の時、友達と自転車で「あてもなく遠くに行く事」が大好きでした。 ギヤ変速機能はあるとはいえママチャリなので、サイクリングなどという大そうなものではなく、本当に興味本位の冒険です。
一度は何の計画もなしでフラっと奥多摩へ行き、物足りなくて甲府まで行ったはいいけど夜になってしまい、そのまま甲州街道で帰って来ればいいものを何故かトンデモナイ遠回りをして深夜に戻って来ました。
理由を聞くと、途中フラフラになってた友達の一人が自転車ごと地元のヤンキーに激突し、激怒した相手に殺されるかのような勢いで追いかけ回され、皆散り散りになって命カラガラ逃げ帰るというマンガのような体験もしていました。
しかしそれにもめげず、長男坊と友達と三人で「三人とも高校受験が終わったら、春休みに泊まりでもっともっと遠くへ行こう」と計画していました。
それを聞き、その時河口湖に自由に使えるマンションがあったので「じゃ河口湖に行って来いよ。甲府より遠くはないけど河口湖だったら食べ物にも困らないし滞在中も楽しく遊べるだろう。その代わり3月末の河口湖はまだ物凄く寒いし、約90kmの距離があるし600m以上の高低差があるからな。相当覚悟して相当防寒対策をして相当朝早く出ないとダメだぞ」と言っておきました。
可愛い事にその三人は、それだけを楽しみに受験勉強を頑張り、三人とも無事第一志望の高校に合格し、いよいよ半年間温めていた出発の日を迎えました。
ところが三人のうちの一人が急に、合格した高校絡みの用事が入り、何だかんだで午後1時に出発する事になったのです。 その時点で明るいうちに向こうに着くのは無理だと思いましたが、私自身小6で大雨の中奥多摩に行った事があるのもあり、一抹の不安はありながらも比較的楽観的に考えていました。
しかし、私もその時点で一つ大きなミスを犯していました。 ウチから河口湖に一般道で向かうには、ひたすら甲州街道を西へ向かい途中で139号に入る方法と、津久井湖のあたりから道志道を抜けて139号に出る方法があります。 朝に出ると思っていた私は、距離的に近い道志道ルートを使うように指示しており、暗くなってからの道志道の状態を想定していませんでした。 この道は非常に狭い割に車の交通量はあり、街頭もなく真っ暗で、コンビニどころか滅多に人家もないような夜はとても危険なルートでした。
案の定道に迷ったりもして、山道に入ってすぐに日が暮れて暗くなってしまったそうです。 三人はサッカー部、サッカー部、野球部副主将と、体力も根性もありチョットやソッとでは音を上げるような子達ではありません。 しかし、疲労の限界がきて休むと一挙に汗が引いて寒くて動かざるを得なくなり、またすぐに疲労の限界を迎えて休むとガタガタ震えるほど寒くなるから走るという悪循環の繰り返しだったそうです。 疲労で足が痙攣して何度も何度も転倒し車にクラクションを鳴らされたり、疲労と絶望の中で極寒の道ばたで寝ようとしたり、たまたま空いていたそば屋さんに閉店後に寝かせてもらえないかと交渉したり、それはそれは辛く苦しい思いをしたそうです。
意識が朦朧とする中ただひたすら進んでいると、まだ稼働しているらしき工場を発見しました。 その場所は、距離的にちょうど河口湖までの半分の所でした。
命の危機さえ感じていた三人は、ここで助けてもらわないと本当にマズいと考え、意を決して捨て身の覚悟で交渉しようと一歩工場の敷地に足を踏み入れた瞬間、けたたましく防犯ブザーが鳴り響きました。 ビックリして立ちすくんでいると、ドヤドヤと物凄い勢いで人が集まって来て、中にはバットを持っている人もいました。 恐らく以前何らかの被害に遭われた事があったのでしょう。
「ガキどもそこで何やってんだ!!」 「いや、僕らはタダ……」
何とか泥棒ではないと理解してくれたようで、 「じゃ、とっとと出て行け!帰れ!帰れ!」 息子ともう一人は、とりあえず泥棒ではない事を信用してもらえた安心感で一杯になり、 「はい!!」 と踵を返して帰ろうとしました。
すると、もう一人の子が突然 「あ、あのう!助けて下さい!できれば河口湖まで送って下さい!お願いします!!」 と叫びました。
「何を言ってんだ?」と言う社員を制して社長さんがそこから真剣に話を聞いて下さり、社員に命令して車を二台を出させ、一台の軽トラに自転車三台を積み、もう一台の乗用車に子供たち三人を乗せ、河口湖のマンションまで送り届けてくれたのです。 わざわざ仕事を中断させて、往復約100kmの山道をです。
途中で何度かやり取りをし「本当にまずいかもな」と思って出動態勢に入っていた私は、這々の体でマンションにたどり着いた子供からこの話を聞き、本当に心から胸を打たれました。 と同時に、これはその状態でも勇気を出してお願いした彼のファインプレーです。
その後そのルートの先を実際に車で走ってみましたが、その先には見事に全く何もありませんでした。 もしそのままその工場を後にしていたら、チョット冗談では済まされないような結果になっていた可能性が高かったかもしれません。
こういう時の咄嗟の判断力、危機回避能力で人間の生死は決まるんだなと、ゾッとする思いの中で痛感しました。
もう二度と同じ思いをしたくないと思った子供達から、帰りは迎えに来て欲しいと頼まれましたが、 「行きも半分送ってもらい帰りも迎えに来てもらったら、お前らの冒険は何だったんだ? 本当にそれでいいのか? 帰りは逆に600m以上下る事になる。 行きとは比べ物にならないほど楽なはずだから、二、三日ゆっくり体を休めて朝早く出て帰って来い。」 と突き放してやったら、よほど朝早く出たらしくやたらと早い時間に帰って来ました。
心の中で大拍手です。 本人達にとって、良い意味でも悪い意味でも一生忘れられない経験になったそうです。 将来きっと、何らかの形でこの経験が生きてくれる事でしょう。
でも、あれからもう二度とチャリで遠出する事はなくなりましたがね(汗)
結果オーライ的要素もありますが、私もこの冒険に行かせた事、迎えに行かなかった事を本当によかったと思っています。 今回の事は「地獄」とまでは言えないかもしれませんが、一度地獄を見た男は本当に強くなります。
因みに私は、一度ならず二度地獄を見ています。 一度は本当に心臓が止まって心電図が「ピーーー」となり、医者も諦め、両親が私の胸の上で泣き崩れたのですが、不思議な事に心臓が止まっていたはずの私はその光景をハッキリ覚えています。
そんな事もあり(?)、一瞬だけ、我が子を崖から突き落とす百獣の王ライオンになった錯覚を覚えてしまいました(汗)
当然の事ながらすぐその工場を調べ上げ、家族全員でお礼に出向きました。 残念な事にその時事務の女性の方々しかおらず、指示を出してくれた社長さんや、送っていただいた方々に直接お礼を言えなかった事が悔やまれますが、事務の方々もその話を知っておられて「充分お気持ちは伝わると思いますよ」と言っていただけたのがせめてもの救いでした。
上野原市の「秋山ゴム工業株式会社」様、本当に本当にありがとうございました。
ご恩は一生忘れません。
最長編になりますが、特に男の子のお子様がいらっしゃる方には是非読んでいただきたく思います。
ちょうど二年ほど前の話です。
長男坊は中学生の時、友達と自転車で「あてもなく遠くに行く事」が大好きでした。
ギヤ変速機能はあるとはいえママチャリなので、サイクリングなどという大そうなものではなく、本当に興味本位の冒険です。
一度は何の計画もなしでフラっと奥多摩へ行き、物足りなくて甲府まで行ったはいいけど夜になってしまい、そのまま甲州街道で帰って来ればいいものを何故かトンデモナイ遠回りをして深夜に戻って来ました。
理由を聞くと、途中フラフラになってた友達の一人が自転車ごと地元のヤンキーに激突し、激怒した相手に殺されるかのような勢いで追いかけ回され、皆散り散りになって命カラガラ逃げ帰るというマンガのような体験もしていました。
しかしそれにもめげず、長男坊と友達と三人で「三人とも高校受験が終わったら、春休みに泊まりでもっともっと遠くへ行こう」と計画していました。
それを聞き、その時河口湖に自由に使えるマンションがあったので「じゃ河口湖に行って来いよ。甲府より遠くはないけど河口湖だったら食べ物にも困らないし滞在中も楽しく遊べるだろう。その代わり3月末の河口湖はまだ物凄く寒いし、約90kmの距離があるし600m以上の高低差があるからな。相当覚悟して相当防寒対策をして相当朝早く出ないとダメだぞ」と言っておきました。
可愛い事にその三人は、それだけを楽しみに受験勉強を頑張り、三人とも無事第一志望の高校に合格し、いよいよ半年間温めていた出発の日を迎えました。
ところが三人のうちの一人が急に、合格した高校絡みの用事が入り、何だかんだで午後1時に出発する事になったのです。
その時点で明るいうちに向こうに着くのは無理だと思いましたが、私自身小6で大雨の中奥多摩に行った事があるのもあり、一抹の不安はありながらも比較的楽観的に考えていました。
しかし、私もその時点で一つ大きなミスを犯していました。
ウチから河口湖に一般道で向かうには、ひたすら甲州街道を西へ向かい途中で139号に入る方法と、津久井湖のあたりから道志道を抜けて139号に出る方法があります。
朝に出ると思っていた私は、距離的に近い道志道ルートを使うように指示しており、暗くなってからの道志道の状態を想定していませんでした。
この道は非常に狭い割に車の交通量はあり、街頭もなく真っ暗で、コンビニどころか滅多に人家もないような夜はとても危険なルートでした。
案の定道に迷ったりもして、山道に入ってすぐに日が暮れて暗くなってしまったそうです。
三人はサッカー部、サッカー部、野球部副主将と、体力も根性もありチョットやソッとでは音を上げるような子達ではありません。
しかし、疲労の限界がきて休むと一挙に汗が引いて寒くて動かざるを得なくなり、またすぐに疲労の限界を迎えて休むとガタガタ震えるほど寒くなるから走るという悪循環の繰り返しだったそうです。
疲労で足が痙攣して何度も何度も転倒し車にクラクションを鳴らされたり、疲労と絶望の中で極寒の道ばたで寝ようとしたり、たまたま空いていたそば屋さんに閉店後に寝かせてもらえないかと交渉したり、それはそれは辛く苦しい思いをしたそうです。
意識が朦朧とする中ただひたすら進んでいると、まだ稼働しているらしき工場を発見しました。
その場所は、距離的にちょうど河口湖までの半分の所でした。
命の危機さえ感じていた三人は、ここで助けてもらわないと本当にマズいと考え、意を決して捨て身の覚悟で交渉しようと一歩工場の敷地に足を踏み入れた瞬間、けたたましく防犯ブザーが鳴り響きました。
ビックリして立ちすくんでいると、ドヤドヤと物凄い勢いで人が集まって来て、中にはバットを持っている人もいました。
恐らく以前何らかの被害に遭われた事があったのでしょう。
「ガキどもそこで何やってんだ!!」
「いや、僕らはタダ……」
何とか泥棒ではないと理解してくれたようで、
「じゃ、とっとと出て行け!帰れ!帰れ!」
息子ともう一人は、とりあえず泥棒ではない事を信用してもらえた安心感で一杯になり、
「はい!!」
と踵を返して帰ろうとしました。
すると、もう一人の子が突然
「あ、あのう!助けて下さい!できれば河口湖まで送って下さい!お願いします!!」
と叫びました。
「何を言ってんだ?」と言う社員を制して社長さんがそこから真剣に話を聞いて下さり、社員に命令して車を二台を出させ、一台の軽トラに自転車三台を積み、もう一台の乗用車に子供たち三人を乗せ、河口湖のマンションまで送り届けてくれたのです。
わざわざ仕事を中断させて、往復約100kmの山道をです。
途中で何度かやり取りをし「本当にまずいかもな」と思って出動態勢に入っていた私は、這々の体でマンションにたどり着いた子供からこの話を聞き、本当に心から胸を打たれました。
と同時に、これはその状態でも勇気を出してお願いした彼のファインプレーです。
その後そのルートの先を実際に車で走ってみましたが、その先には見事に全く何もありませんでした。
もしそのままその工場を後にしていたら、チョット冗談では済まされないような結果になっていた可能性が高かったかもしれません。
こういう時の咄嗟の判断力、危機回避能力で人間の生死は決まるんだなと、ゾッとする思いの中で痛感しました。
もう二度と同じ思いをしたくないと思った子供達から、帰りは迎えに来て欲しいと頼まれましたが、
「行きも半分送ってもらい帰りも迎えに来てもらったら、お前らの冒険は何だったんだ?
本当にそれでいいのか?
帰りは逆に600m以上下る事になる。
行きとは比べ物にならないほど楽なはずだから、二、三日ゆっくり体を休めて朝早く出て帰って来い。」
と突き放してやったら、よほど朝早く出たらしくやたらと早い時間に帰って来ました。
心の中で大拍手です。
本人達にとって、良い意味でも悪い意味でも一生忘れられない経験になったそうです。
将来きっと、何らかの形でこの経験が生きてくれる事でしょう。
でも、あれからもう二度とチャリで遠出する事はなくなりましたがね(汗)
結果オーライ的要素もありますが、私もこの冒険に行かせた事、迎えに行かなかった事を本当によかったと思っています。
今回の事は「地獄」とまでは言えないかもしれませんが、一度地獄を見た男は本当に強くなります。
因みに私は、一度ならず二度地獄を見ています。
一度は本当に心臓が止まって心電図が「ピーーー」となり、医者も諦め、両親が私の胸の上で泣き崩れたのですが、不思議な事に心臓が止まっていたはずの私はその光景をハッキリ覚えています。
そんな事もあり(?)、一瞬だけ、我が子を崖から突き落とす百獣の王ライオンになった錯覚を覚えてしまいました(汗)
当然の事ながらすぐその工場を調べ上げ、家族全員でお礼に出向きました。
残念な事にその時事務の女性の方々しかおらず、指示を出してくれた社長さんや、送っていただいた方々に直接お礼を言えなかった事が悔やまれますが、事務の方々もその話を知っておられて「充分お気持ちは伝わると思いますよ」と言っていただけたのがせめてもの救いでした。
上野原市の「秋山ゴム工業株式会社」様、本当に本当にありがとうございました。
ご恩は一生忘れません。