代表のブログ
TEL:0422-27-2754
SDIトータルサポート ホーム > 代表のブログ > 「己のルーツ / 家系図」
投稿日:2020年11月18日
先日テレビを見ていて 「明治19年まで戸籍を遡る事ができる」 と知った私は、無性に自分のルーツを調べてみたくなりました。
明治19年の戸籍には、その当時までの家族の出来事が記載されている事になるため、最後まで辿ったとすれば 戸籍から江戸時代末期までの事が分かる事になるようです。 (戸籍保存期間が、近年になって〝80年から150年に法改正〟されたので、全てが全てではないようです)
実は1年ほど前、金沢の叔母さんに 「一彦君、岩田家の家系図を作りたいと思っているから、協力してね。」 と言われ「了解です!」と返事はしたものの、仕事の忙しさにかまけて全く協力していませんでした💧
生前 親父から伝え聞いていた事だけで判断すると
□ 宗右(父 享年66歳) ⚫︎「アサヒゴルフ」「ゴルフダイジェスト」両紙(両社)の編集長を経て、晩年六本木で「ゴルフ全国社」経営。 ⚫︎趣味もゴルフだったので、好きなゴルフに明け暮れた幸せな人生だったと思われる。 ⚫︎「東映のプロ野球選手から プロゴルファーになった〝ジャンボ尾崎〟を、一番最初に取材して取り上げたのは俺だ。 あいつは 俺の葬式には必ず来るぞ。」 と言いながら 電報も届かず😅 ⚫︎浮気相手から家に電話が掛かってきて責めれると、自分の妻(母)に電話を渡して「お前、どうにか収めろ」と言って出掛けてしまう破天荒ぶり😅
⚫︎超見栄っ張りで、亡くなるまでずっと 虎ノ門の「ホテルオークラ」のフィットネスクラブの会員で、当時の海部総理大臣や渡哲也さんなどとも対等に話す 肝の座りよう。 ⚫︎いい意味で「デタラメ」で、誠に愛すべき人物。
□ 宗一郎(祖父 享年77歳) ⚫︎富山県 砺波の駅前商店街で「岩田薬局」を経営。薬剤師。 ⚫︎「砺波新聞」発行責任者。 ⚫︎趣味はラジコンヘリコプター。 ⚫︎非常に物静か。泰然自若。(恐らく 自身の父親の反動と思われる💧)
□ 喜一郎(ひいおじいちゃん) ⚫︎砺波市一の海鮮問屋を一代で破綻させる。 ⚫︎砺波市に自費で東京の歌舞伎一座を呼び、無料公演を開いて市民を喜ばせたり、当時は相当高額だったタクシーで 毎日孫(父)を迎えに行ったりしていた豪傑。 ⚫︎岩田の家系では珍しいツルッパゲ。
□ 宗右衛門(ひいひいおじいちゃん) ⚫︎砺波市一の海鮮問屋経営。 ⚫︎人柄は不明。
までしか分かっていません。
因みに □ 母は旧姓「高橋 盛子」(享年72歳) ⚫︎スポーツ万能で 学生時代はほぼ全てのスポーツ部から試合時に助っ人を頼まれた。 ⚫︎43歳まで 東京一の女子ソフトボールチームの正捕手(チームの平均年齢25.6歳) ⚫︎水泳で 東京都の年齢別記録保持者(種目不明) ⚫︎晩年は三鷹市の水泳指導員。愛称「半魚人」(私が命名)
⚫︎家が貧乏でなければ、何らかのプロスポーツ選手かオンピック選手になっていた可能性大。 ⚫︎人望に厚く、葬式の時 葬儀屋が驚くほどの参列者でした。
□ 祖母は旧姓「刈谷 清」(享年93歳) ⚫︎非常に強烈で、喜怒哀楽が激しい。 ⚫︎その反面 情に厚い。 ⚫︎電動自転車でどこからでも飛び出してくるので、地元のタクシー運転手からも恐れられる。 ⚫︎自分の子供たちに 冗談で「ゴキブリが絶滅しても生きている」と言われながら93歳で永眠。 ⚫︎愛知県刈谷市にルーツがあると思われる。
という具合に、母のスポーツ万能な部分の一端だけでなく、しっかりおばあちゃんの血も受け継いでいるようです😅
私も子供がいる以上、後世に「ルーツ」を伝える義務があると思いますし、そろそろその準備を始める年齢に差し掛かってきたと思います。
積極的に叔母さんに協力し、何とか岩田の家系図を完成させたいと思います。
先日テレビを見ていて
「明治19年まで戸籍を遡る事ができる」
と知った私は、無性に自分のルーツを調べてみたくなりました。
明治19年の戸籍には、その当時までの家族の出来事が記載されている事になるため、最後まで辿ったとすれば 戸籍から江戸時代末期までの事が分かる事になるようです。
(戸籍保存期間が、近年になって〝80年から150年に法改正〟されたので、全てが全てではないようです)
実は1年ほど前、金沢の叔母さんに
「一彦君、岩田家の家系図を作りたいと思っているから、協力してね。」
と言われ「了解です!」と返事はしたものの、仕事の忙しさにかまけて全く協力していませんでした💧
生前 親父から伝え聞いていた事だけで判断すると
□ 宗右(父 享年66歳)
⚫︎「アサヒゴルフ」「ゴルフダイジェスト」両紙(両社)の編集長を経て、晩年六本木で「ゴルフ全国社」経営。
⚫︎趣味もゴルフだったので、好きなゴルフに明け暮れた幸せな人生だったと思われる。
⚫︎「東映のプロ野球選手から プロゴルファーになった〝ジャンボ尾崎〟を、一番最初に取材して取り上げたのは俺だ。
あいつは 俺の葬式には必ず来るぞ。」
と言いながら 電報も届かず😅
⚫︎浮気相手から家に電話が掛かってきて責めれると、自分の妻(母)に電話を渡して「お前、どうにか収めろ」と言って出掛けてしまう破天荒ぶり😅
⚫︎超見栄っ張りで、亡くなるまでずっと 虎ノ門の「ホテルオークラ」のフィットネスクラブの会員で、当時の海部総理大臣や渡哲也さんなどとも対等に話す 肝の座りよう。
⚫︎いい意味で「デタラメ」で、誠に愛すべき人物。
□ 宗一郎(祖父 享年77歳)
⚫︎富山県 砺波の駅前商店街で「岩田薬局」を経営。薬剤師。
⚫︎「砺波新聞」発行責任者。
⚫︎趣味はラジコンヘリコプター。
⚫︎非常に物静か。泰然自若。(恐らく 自身の父親の反動と思われる💧)
□ 喜一郎(ひいおじいちゃん)
⚫︎砺波市一の海鮮問屋を一代で破綻させる。
⚫︎砺波市に自費で東京の歌舞伎一座を呼び、無料公演を開いて市民を喜ばせたり、当時は相当高額だったタクシーで 毎日孫(父)を迎えに行ったりしていた豪傑。
⚫︎岩田の家系では珍しいツルッパゲ。
□ 宗右衛門(ひいひいおじいちゃん)
⚫︎砺波市一の海鮮問屋経営。
⚫︎人柄は不明。
までしか分かっていません。
因みに
□ 母は旧姓「高橋 盛子」(享年72歳)
⚫︎スポーツ万能で 学生時代はほぼ全てのスポーツ部から試合時に助っ人を頼まれた。
⚫︎43歳まで 東京一の女子ソフトボールチームの正捕手(チームの平均年齢25.6歳)
⚫︎水泳で 東京都の年齢別記録保持者(種目不明)
⚫︎晩年は三鷹市の水泳指導員。愛称「半魚人」(私が命名)
⚫︎家が貧乏でなければ、何らかのプロスポーツ選手かオンピック選手になっていた可能性大。
⚫︎人望に厚く、葬式の時 葬儀屋が驚くほどの参列者でした。
□ 祖母は旧姓「刈谷 清」(享年93歳)
⚫︎非常に強烈で、喜怒哀楽が激しい。
⚫︎その反面 情に厚い。
⚫︎電動自転車でどこからでも飛び出してくるので、地元のタクシー運転手からも恐れられる。
⚫︎自分の子供たちに 冗談で「ゴキブリが絶滅しても生きている」と言われながら93歳で永眠。
⚫︎愛知県刈谷市にルーツがあると思われる。
という具合に、母のスポーツ万能な部分の一端だけでなく、しっかりおばあちゃんの血も受け継いでいるようです😅
私も子供がいる以上、後世に「ルーツ」を伝える義務があると思いますし、そろそろその準備を始める年齢に差し掛かってきたと思います。
積極的に叔母さんに協力し、何とか岩田の家系図を完成させたいと思います。