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「己のルーツ / 家系図」

投稿日:2020年11月18日

先日テレビを見ていて
「明治19年まで戸籍を遡る事ができる」
と知った私は、無性に自分のルーツを調べてみたくなりました。

 

明治19年の戸籍には、その当時までの家族の出来事が記載されている事になるため、最後まで辿ったとすれば 戸籍から江戸時代末期までの事が分かる事になるようです。
(戸籍保存期間が、近年になって〝80年から150年に法改正〟されたので、全てが全てではないようです)

 

実は1年ほど前、金沢の叔母さんに
「一彦君、岩田家の家系図を作りたいと思っているから、協力してね。」
と言われ「了解です!」と返事はしたものの、仕事の忙しさにかまけて全く協力していませんでした💧

 

 

生前 親父から伝え聞いていた事だけで判断すると

 

□ 宗右(父 享年66歳)
⚫︎「アサヒゴルフ」「ゴルフダイジェスト」両紙(両社)の編集長を経て、晩年六本木で「ゴルフ全国社」経営。
⚫︎趣味もゴルフだったので、好きなゴルフに明け暮れた幸せな人生だったと思われる。
⚫︎「東映のプロ野球選手から プロゴルファーになった〝ジャンボ尾崎〟を、一番最初に取材して取り上げたのは俺だ。
あいつは 俺の葬式には必ず来るぞ。」
と言いながら 電報も届かず😅
⚫︎浮気相手から家に電話が掛かってきて責めれると、自分の妻(母)に電話を渡して「お前、どうにか収めろ」と言って出掛けてしまう破天荒ぶり😅

⚫︎超見栄っ張りで、亡くなるまでずっと 虎ノ門の「ホテルオークラ」のフィットネスクラブの会員で、当時の海部総理大臣や渡哲也さんなどとも対等に話す 肝の座りよう。
⚫︎いい意味で「デタラメ」で、誠に愛すべき人物。

 

□ 宗一郎(祖父 享年77歳)
⚫︎富山県 砺波の駅前商店街で「岩田薬局」を経営。薬剤師。
⚫︎「砺波新聞」発行責任者。
⚫︎趣味はラジコンヘリコプター。
⚫︎非常に物静か。泰然自若。(恐らく 自身の父親の反動と思われる💧)

 

□ 喜一郎(ひいおじいちゃん)
⚫︎砺波市一の海鮮問屋を一代で破綻させる。
⚫︎砺波市に自費で東京の歌舞伎一座を呼び、無料公演を開いて市民を喜ばせたり、当時は相当高額だったタクシーで 毎日孫(父)を迎えに行ったりしていた豪傑。
⚫︎岩田の家系では珍しいツルッパゲ。

 

□ 宗右衛門(ひいひいおじいちゃん)
⚫︎砺波市一の海鮮問屋経営。
⚫︎人柄は不明。

 

までしか分かっていません。

 

 

因みに
□ 母は旧姓「高橋 盛子」(享年72歳)
⚫︎スポーツ万能で 学生時代はほぼ全てのスポーツ部から試合時に助っ人を頼まれた。
⚫︎43歳まで 東京一の女子ソフトボールチームの正捕手(チームの平均年齢25.6歳)
⚫︎水泳で 東京都の年齢別記録保持者(種目不明)
⚫︎晩年は三鷹市の水泳指導員。愛称「半魚人」(私が命名)

⚫︎家が貧乏でなければ、何らかのプロスポーツ選手かオンピック選手になっていた可能性大。
⚫︎人望に厚く、葬式の時 葬儀屋が驚くほどの参列者でした。

 

□ 祖母は旧姓「刈谷 清」(享年93歳)
⚫︎非常に強烈で、喜怒哀楽が激しい。
⚫︎その反面 情に厚い。
⚫︎電動自転車でどこからでも飛び出してくるので、地元のタクシー運転手からも恐れられる。
⚫︎自分の子供たちに 冗談で「ゴキブリが絶滅しても生きている」と言われながら93歳で永眠。
⚫︎愛知県刈谷市にルーツがあると思われる。

 

という具合に、母のスポーツ万能な部分の一端だけでなく、しっかりおばあちゃんの血も受け継いでいるようです😅

 

 

私も子供がいる以上、後世に「ルーツ」を伝える義務があると思いますし、そろそろその準備を始める年齢に差し掛かってきたと思います。

 

積極的に叔母さんに協力し、何とか岩田の家系図を完成させたいと思います。

 

 

 

 

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