代表のブログ
TEL:0422-27-2754
SDIトータルサポート ホーム > 代表のブログ > 「親父」
投稿日:2017年12月27日
思い入れが強いので少々長くなります。
私と長男坊が性格的にソックリなように、親父と私も嫌になっちゃうほどソックリです。
例をあげるとキリがないのですが、代表的なのは「分りやすい」という事です。
あの時代でもなかなかいなかったと思うのですが、親父は「フンドシ」の愛用者でした。 親父なりの「日本男児」アピールだったのでしょうが、それが当たり前だと思っていた私は、他の家のお父さんはフンドシじゃないと知った時少々ショックでした。 ところがいつの日か、いきなりフンドシから原色系極小ハイレグブリーフへと変わったのです。 マッチョ系白人ストリップダンサーが履くようなやつです(汗) 小学生だった私でも何があったのかおおよその見当がつきます。 せめて一旦普通のブリーフとかにすればいいのに、いきなりです(笑)
ある時などいきなり家に女の人から電話があり、最初は親父と押し問答をしていたのですが、親父がいきなりお袋に電話を渡して「お前らで話し合え」と言って、物凄いスピードで逃げるように出掛けてしまったそうです(汗)
私が34歳の時、親父とお袋を連れてグアムに行きました。 しかし、出発の二日前に親父が血痰を吐きました。 それでもそのまま旅行に行ったのですが、向こうでも調子が悪そうでした。
車を走らせていたら「ホットドックが食べたいからコンビニ寄ってくれ」と言われたので寄ると、そのコンビニは自分でパンとソーセージを焼き、ピクルスやガーリックを挟み、マスタードやケチャップをかけてレジに行きお金を払って食べるとういうシステムでした。 今でも普通にコンビニに置いてあるゴルフ雑誌の編集長をしていた親父は、世界中へ行っているのでそんな事はよく知っています。 しかしレジに並ぼうと歩き始めると、ビックリ仰天する事に、親父は焼いたそばから我慢できずにその場でムシャムシャ食べているのです(汗) それでレジでお金を払う際、レジの人に向かって口にケチャップをつけながら「アイ オールレディ エイト! ガッハッハッハッハッ!」とか言いながら両手を広げておどけて見せました。 その時のレジの白人のおばちゃんと、後ろに並んでいた黒人のおばちゃんの呆れ返った顔はいまだに忘れられません。 黒人のおばちゃんに至っては、目ん玉ひんむいてしばらく口を開けっぱなしにしていました。 私は恥ずかしくて顔を真っ赤にしながら会計をするハメになりました。
この時すでに末期ガンに侵されているとも知らずに……
その次の日朝寝ぼけてテレビをつけると、朝から飛行機がビルに突っ込む映画がやっていました。 さすがにアメリカは朝っぱらから強烈な映画をやるんだなと思って見ていると、よく見るとそれはニューヨークの事件を報道するものでした。 9.11同時多発テロです。
こりゃえらい事になったなと思っていると、親父は何だか台風が来たときの子供のようにテンション高めです。 そのうち航空会社からホテルの部屋に電話が入り、帰国便に乗れない可能性が高いという話でした。 私的にはそういう理由であれば会社を休んでも構わないと思っていたのですが、もう働いていなかったはずの親父がいきなりスイッチを入れ、航空会社に電話をかけて物凄い勢いでまくしたて交渉に交渉を重ねて当初の帰国便に乗れる事になりました。 大ドヤ顔で「どうだ?交渉とはこうやってするもんだ」と言っていた親父に、私は帰国が延びても問題なかった事を告げると「まだ何日かグアムにいれる」と頭が切り替わった親父は、大慌てで航空会社に電話を掛け直して「ウソウソ、さっきの取り消して」だって(汗) ゴネにゴネたわけですから、当然認められるわけはありません(汗)
帰国後、一月半ほどで親父は亡くなりました。
葬式の謝辞を述べる時、あまりに親父らしいエピソードだったのでこのホットドックの一件を発表してやろうかとも思ったのですが、一応親父の名誉のためにやめておきました。
親父は息を引き取る寸前に、お袋に向かって「ごめんな……ありがとう……」と言いました。 きっと、あのパンツの一件の事も言っていたのだと思います。
母ちゃんは優しく親父を抱きながら「うん。もういい。もういい。こちらこそ冷たくしてごめんね。こちらこそありがとう。」と言い、そのまま母ちゃんの腕の中で息を引き取りました。
その後に建てた墓の墓石には、「ありがとう」という言葉を、親父の生き方そのものの「へたうま」という書道の字体で刻みました。
そういう憎めない、分りやすい、愛すべき親父でした。
思い入れが強いので少々長くなります。
私と長男坊が性格的にソックリなように、親父と私も嫌になっちゃうほどソックリです。
例をあげるとキリがないのですが、代表的なのは「分りやすい」という事です。
あの時代でもなかなかいなかったと思うのですが、親父は「フンドシ」の愛用者でした。
親父なりの「日本男児」アピールだったのでしょうが、それが当たり前だと思っていた私は、他の家のお父さんはフンドシじゃないと知った時少々ショックでした。
ところがいつの日か、いきなりフンドシから原色系極小ハイレグブリーフへと変わったのです。
マッチョ系白人ストリップダンサーが履くようなやつです(汗)
小学生だった私でも何があったのかおおよその見当がつきます。
せめて一旦普通のブリーフとかにすればいいのに、いきなりです(笑)
ある時などいきなり家に女の人から電話があり、最初は親父と押し問答をしていたのですが、親父がいきなりお袋に電話を渡して「お前らで話し合え」と言って、物凄いスピードで逃げるように出掛けてしまったそうです(汗)
私が34歳の時、親父とお袋を連れてグアムに行きました。
しかし、出発の二日前に親父が血痰を吐きました。
それでもそのまま旅行に行ったのですが、向こうでも調子が悪そうでした。
車を走らせていたら「ホットドックが食べたいからコンビニ寄ってくれ」と言われたので寄ると、そのコンビニは自分でパンとソーセージを焼き、ピクルスやガーリックを挟み、マスタードやケチャップをかけてレジに行きお金を払って食べるとういうシステムでした。
今でも普通にコンビニに置いてあるゴルフ雑誌の編集長をしていた親父は、世界中へ行っているのでそんな事はよく知っています。
しかしレジに並ぼうと歩き始めると、ビックリ仰天する事に、親父は焼いたそばから我慢できずにその場でムシャムシャ食べているのです(汗)
それでレジでお金を払う際、レジの人に向かって口にケチャップをつけながら「アイ オールレディ エイト! ガッハッハッハッハッ!」とか言いながら両手を広げておどけて見せました。
その時のレジの白人のおばちゃんと、後ろに並んでいた黒人のおばちゃんの呆れ返った顔はいまだに忘れられません。
黒人のおばちゃんに至っては、目ん玉ひんむいてしばらく口を開けっぱなしにしていました。
私は恥ずかしくて顔を真っ赤にしながら会計をするハメになりました。
この時すでに末期ガンに侵されているとも知らずに……
その次の日朝寝ぼけてテレビをつけると、朝から飛行機がビルに突っ込む映画がやっていました。
さすがにアメリカは朝っぱらから強烈な映画をやるんだなと思って見ていると、よく見るとそれはニューヨークの事件を報道するものでした。
9.11同時多発テロです。
こりゃえらい事になったなと思っていると、親父は何だか台風が来たときの子供のようにテンション高めです。
そのうち航空会社からホテルの部屋に電話が入り、帰国便に乗れない可能性が高いという話でした。
私的にはそういう理由であれば会社を休んでも構わないと思っていたのですが、もう働いていなかったはずの親父がいきなりスイッチを入れ、航空会社に電話をかけて物凄い勢いでまくしたて交渉に交渉を重ねて当初の帰国便に乗れる事になりました。
大ドヤ顔で「どうだ?交渉とはこうやってするもんだ」と言っていた親父に、私は帰国が延びても問題なかった事を告げると「まだ何日かグアムにいれる」と頭が切り替わった親父は、大慌てで航空会社に電話を掛け直して「ウソウソ、さっきの取り消して」だって(汗)
ゴネにゴネたわけですから、当然認められるわけはありません(汗)
帰国後、一月半ほどで親父は亡くなりました。
葬式の謝辞を述べる時、あまりに親父らしいエピソードだったのでこのホットドックの一件を発表してやろうかとも思ったのですが、一応親父の名誉のためにやめておきました。
親父は息を引き取る寸前に、お袋に向かって「ごめんな……ありがとう……」と言いました。
きっと、あのパンツの一件の事も言っていたのだと思います。
母ちゃんは優しく親父を抱きながら「うん。もういい。もういい。こちらこそ冷たくしてごめんね。こちらこそありがとう。」と言い、そのまま母ちゃんの腕の中で息を引き取りました。
その後に建てた墓の墓石には、「ありがとう」という言葉を、親父の生き方そのものの「へたうま」という書道の字体で刻みました。
そういう憎めない、分りやすい、愛すべき親父でした。