代表のブログ

「母ちゃん」

投稿日:2017年12月25日

Merry Christmas!

 

母の運動神経は凄まじいものがありました。

 

学生の頃からスポーツ万能で、よく他の学校から種目を問わず助っ人で呼ばていた事を、母の遺品の中の「寄せ書き」から知りました。

ボールの投げ方など男そのもので、ホレボレするようなキレイな回転のストレートを投げたものです。
当時東京で三本の指に入る強豪女子ソフトボールチームで、24、5歳が中心の中で一人で40代で正キャッチャーをやってました。

 

故障をしてソフトボールをやめてからは水泳です。
私は冗談半分で半魚人と呼んでいたのですが、東京都の年代別の最高記録も持っており、晩年は指導員として後進の育成にあたっていました。
片親で貧しかったのでそんな余裕はなかったのでしょうが、幼少期から一つのスポーツをちゃんとした指導者の元でやっていたら、きっとプロかオリンピック選手になっていたと思います。

 

人に優しく人望もあり、葬式の時など葬儀場の人も驚くほどの参列者の方々に来ていただきましたが、子供にはまあ厳しい人でした。

 

実は私は虐待被害者であり、家庭内暴力の加害者でもあります。
幼少時、真冬に朝まで家に入れてもらえなかった事など何度もあります。
まだ9才10才だったので、当然一晩中泣きわめいていましたが、風邪をひこうが近所迷惑だろうがお構いなしです。
一番忘れられないのが、楽しみにしていた遠足の前の日の晩に表に出されて、朝の集合時間まで家に入れてもらえず遠足に行けなかった事です。
その他にも直接身体に攻撃を受ける虐待も年がら年中で傷が絶えませんでした。
後述する親父の「パンツ事件」と何か関係がある事は、子供心にもなんとなく分っていました。

 

小学生の時の私は、虐待をされながら、ますますやられる事を覚悟で「大きくなったら覚えてろ」と言うのが口癖でした。
中学二年になり何か棒のような物で殴られている時、痛くて我慢ができず咄嗟に母親のお腹をフルパワーで蹴りました。
母親はその場に倒れ込み悶絶しましたが、その時私は「しまった!」というより「やった!」という快感にも似た感情が湧き起こりました。
どれだけ異常な状況だったかという事です。
母親はそれで一ヶ月入院したのですが、病室で寝ている母親を見て涙が止まらず、考えを改めそれからもう二度と親に手を上げるような事はしませんでした。

 

大好きだった母親の名誉のために言いますが、虐待はそれだけ私が「悪ガキ」だったという事であり、親父のせいでもあります。
28歳くらいになった時いきなり母親から過去の虐待の事を謝罪されましたが、「何を言ってるんだよ。おかげでこれだけの精神力がついたんだから感謝してるよ。」 と笑い飛ばしてやりました。

 

晩年心臓を患い、手術を繰り返しました。
一度は28時間にも及ぶ大手術です。

もう先が長くないと悟った私は、最後くらい孫と暮らさせてあげようと決心し、実家の売却の話を進めると同時に新居を探し始めました。

 

その矢先に母は亡くなりました。

 

もう少し早く決断しておけばよかったと、とても後悔しています。

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