ストーカーについて

三鷹ストーカー殺人事件(三鷹高3女子刺殺事件)

 

 

2013年(平成25年)10月8日、三鷹市に住む女子高生でタレントの鈴木沙彩さん(18)が、自宅に忍び込み待ち伏せしていた元交際相手に刺され、搬送先の病院で亡くなったストーカー殺人事件。
被害者の沙彩さんがテレビドラマなどにも出演するタレントであったことや、容疑者の元交際相手が被害者である沙彩さんの裸の画像などをネットに流出させたことでも社会に大きな波紋を投げかけた事件。

概要

10月8日、犯人の池永チャールストーマスは、三鷹市井の頭、元交際相手の高校3年生鈴木沙彩さん(18)の自宅に忍び込んで、クローゼットで待ち伏せし、帰宅した鈴木さんを ナイフで刺して殺害した。
池永容疑者の友人によると池永は、犯行直前にクローゼットで待ち伏せをしていた際、スマートフォンなどの無料通話アプリ「LINE」で、友人に「元カノのおしいれにて」「ふんぎりがつかないからかなりストーカーじみたことをしている」「神様反省してるので助けてください」などと送信していた。
メッセージは「詰みだわ」との言葉を最後に連絡は途絶え、その2時間半後に、池永容疑者は鈴木さんを殺害した。
池永容疑者は「彼女と鉢合わせして、彼女が叫んで外に飛び出したというか、 外に飛び出していってしまったので、自分が追いかけて、カッとなってやってしまったと」と話した。

午後4時55分頃、東京都三鷹市井の頭1丁目の路上で「女の人が刺されている」と110番通報をもとに三鷹警察署員が駆けつけると首から血を流し、自宅前の路上に倒れている沙彩さんを発見。
直ちに病院に搬送されたが約2時間後に死亡が確認された。

経緯

平成23年、被害者の鈴木沙彩さんと犯人の池永チャーチルトーマスはインターネット・ソーシャルネットワーキング・サービス、いわゆるSNSを通じて出会い交際が始まるが、この時池永は南米ハーフの関西有名私大学生と偽って交際していた。
池永はフィリピンのマニラ市出身で、日本人を父に、フィリピン人を母に持つ混血児であったが、フィリピン人の母とともに1歳10か月のときに来日。
その後日本国籍を取得、関西で職を転々としながら当時はトラック運転手に従事していた。
池永が度々上京しながらの遠距離恋愛であったが、約1年後の翌平成24年の9月、海外留学を前にした沙彩さんは池永に別れを告げる。
沙彩さんが帰国した平成25年3月、池永に復縁を迫られ、当初は渋々連絡を取っていたが「写真を送れ、送らないと俺は死ぬ」「自分と付き合わないと、交際していた時の写真を(沙彩さんの所属している芸能事務所などに)配る」といった内容をフェイスブックに書き込まれた。
2013年6月には沙彩さんの父親が池永にもう連絡をしないように伝え、携帯電話を着信拒否し、連絡を完全に絶つようになった。
復縁できないと思った池永は、2013年夏から沙彩さんの殺害計画を練りはじめ、当時アルバイト勤務していた運送会社を無断欠勤後に行方をくらまし、同年9月27日に居住していた関西から女子高生が住む東京へ高速バスで上京。
JR吉祥寺駅近くの量販店で刃渡り15cmのナイフを購入。
10月1日と4日には、沙彩さんの登校時間を狙って自宅付近で待ち伏せをする。
この頃、沙彩さんは池永から「殺す」というメールでも脅されいることもあり学校に2回相談。
8日の午前中、ご両親とともに三鷹警察署を訪れ相談。
三鷹署は警告のためトーマス容疑者に3回電話したが繋がらなかったため、留守番電話に警察に連絡する旨を残す。

事件が起きたのはその日の午後。
池永は昼過ぎに沙彩さん宅2階の無施錠の窓から侵入し、1階の沙彩さんの部屋のクローゼットに隠れて、殺害の機会をうかがっていた。
クローゼットに隠れながら凶行に及ぶまでの間、友人に無料通信アプリを通じて沙彩さん宅の電話番号を告げる形で、室内に誰かいないか確認する電話をかけるよう依頼した。
その一方で「ふんぎりつかんからストーカーじみたことをしてる」「そのつもりなかったけどなんやかんやで押し入れの中。出たいけど出られへん」「三時間前のおれしね」「あー無事にかえりたいよぅ」「詰みだわ」と殺害に葛藤があるかのような言葉を送信していた
帰宅した紗彩さんは隠れていた池永に襲われ、外まで逃げだしたが自宅前の路上で首や腹に11カ所の刺し傷や切り傷を負わされる(致命傷は3カ所)。
通報を受けた警察や救急が駆けつけ、沙彩さんは病院に搬送される。
午後6時半ころ、付近の捜査していた三鷹署員が三鷹市牟礼3丁目の路上で現場から逃げた男とよく似た池永を発見し殺人未遂容疑で逮捕。
それから間もなく午後7時頃、搬送されていた病院で沙彩さんの死亡が確認された。

沙彩さんは帰宅した際に三鷹署の署員と電話で話しており無事帰宅したことを16時51分に伝えていたが、電話を切った直後に事件は起きた。
逗子ストーカー殺人事件を教訓に対策を強化した改正ストーカー規制法が5日前の10月3日から施行された矢先のストーカー殺人であった。

判決

2017年1月24日 東京高裁は「一審の量刑判断に誤りはない」と述べ一審判決を支持し双方の控訴を棄却。
被告、検察側双方が上告しなかったため、一審判決の懲役22年が確定。

 

リベンジポルノ

事件後、事件の残虐性もさる事ながら池永がインターネットに流出させた裸の画像が大きな波紋を広げた。
今回流出したものは二人が交際している時に撮影された、あくまでも当時の二人の間だけのプライートな写真。
このような卑劣極まりない復讐行為を「リベンジポルノ」といって、アメリカなどでは州によって法整備されているが、当時日本では「リベンジポルノ」を直接的に規制する法律はなかった。

池永は米国のアダルト動画・静止画共有サービスサイトであるXVideosで沙彩さんのニックネームにちなんだハンドルネームで自分の投稿スペースを作成し、交際中に沙彩さんが撮影して池永に送信していた性的な画像や動画をアップロードした。
さらに池永は、殺害直後に逮捕されるまで、短文投稿サイトや電子掲示板の復讐を扱うスレッド、地域掲示板の三鷹市に絡むスレッドで、三鷹で怨恨殺人を示唆するコメントなど被害者である沙彩さんとの関連を示唆しながら、自分がアップロードした米国のアダルト動画・静止画共有サービスサイトのURLを投稿した。
殺人事件がメディアで大きく報道されるにつれて、池永のネット投稿に気づいたネット住民によって沙彩さんの性的な画像や動画がダウンロードされ拡散した。

沙彩さんの性的な画像や動画が拡散していることは大手メディアでは当初は報道しなかったが、やがて一般紙でも本事件を報道する際に本件をリベンジポルノであるとして紹介するようになり、リベンジポルノが社会問題として認識されるようになった。
その後国会でもリベンジポルノが問題視され議論されるようになり、2014年11月19日にリベンジポルノへの罰則を盛り込んだリベンジポルノ被害防止法が成立した。

 

追記

池永は、法廷で不敵な笑みを浮かべ、一言の謝罪も口にしなかったそうです。

「(遺族が)苦しんでいると想像できるが共感はできない。申し訳ないという気持ちは、抱いていません」とも述べ、
池永の母親の証言によると、

「『こんな罪を犯したんだ』と殺害直後の遺体画像を私に見せ、『リベンジポルノという言葉は俺が広めた』と自慢げに言っていた」

そうです。
なんと驚く事に、裸の写真だけではなく、殺害後の写真まで撮っていたのです。

 

裁判で池永は、わいせつ画像をネット上に拡散させた理由を問われると、
「半永久的に画像を残すことができ、かなり話題になると思った。(理想の)彼女と交際したことを、大衆にひけらかしたかった」
と、歪んだ自意識を表したそうです。

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