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「仁徳天皇陵古墳」

投稿日:2021年09月16日

仕事でよく大阪へ訪れる私は、大阪の観光スポット的なところはもう全て行き尽くしているものと思っていました。


ところが昨日 大阪の堺市役所へ調査のために訪れた帰りに「三国ヶ丘」という駅で乗り換えをする際 【仁徳天皇陵古墳→】という看板が目に飛び込んできて「ナヌ!?」となりました。


仁徳天皇陵が大阪にある事すらも知らなかったのですが、慌ててGoogleマップを見てみると 駅のすぐ横が仁徳陵だったので、これは行かねばなりません。


この一帯の堺市の「百舌鳥古墳群」と、羽曳野市 藤井寺市の「古市古墳群」の二ヶ所が「百舌鳥・古市古墳群」として世界文化遺産に登録されています。


百舌鳥古墳群には 現在44基の古墳が残っているのですが、その中の一つである〝仁徳天皇陵〟は 全国に16万基以上はあるといわれる古墳の中で最大となります。
加えて エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ「世界3大墳墓」の一つとも言われておりますが、その三つの中でも最大のものとなります。


子供の頃 社会科の教科書などで見た記憶だと そこまで大きいものとは想像していませんでしたが、仁徳陵だけで甲子園球場が12個も入る広さだそうで、確かに〝駅のとなり〟ではありましたが、参拝所にたどり着くまでエラい距離を歩かされました😅


我々日本人が「大和民族」と呼ばれる発端になるのであろう「大和国」(大和朝廷)は奈良県ですが、このようなものを目の当たりにする度に
〝日本の長い歴史のほとんどが 関西中心だった〟
という事を再認識させられます。


「東の京都」という意味で「東京」と命名したのだと思いますが、三河国(愛知県)の生まれである徳川家康が たまたま江戸に幕府を開かなければ、今の東京はどうようなものになっていたのか 皆目見当がつきませんね。



「仁徳天皇」が何をされた方なのかはよく分かりませんが、自然と 凛とした引き締まった気持ちになり、しっかりと参拝させていただきました🙏



本日は ある案件の「証拠調査」(証拠の取得)のため、栃木県の宇都宮の方へ向かっております。

 

 

 

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